*** 2004年7月1日(木)〜1日目、ナビは神様 ***

 旅に出ることは随分前から決めていたのに、出発準備を始めたのは出発の4時間前。ろくに考えもせず、要る物を忘れ要らないものを詰め込む始末。寝過ごしたら困るので徹夜しようかとも思ったが、体調を崩すのもまずいので数時間仮眠をとった。

 午前5時に起き、ふらふらの頭で6時すぎに家を出た。8時すぎには羽田を出発し、島根県の出雲空港へ降り立ったのが9時半頃。短いフライトの間、半分は眠りこけ、もう半分は着いてからまずどこへ行くかを考えるのに費やされた。1日目に泊まる予定の宿がある松江を回ろうか、先に出雲大社へ行こうかで迷っていたが、着いてみると空港から待ち時間なしの出雲大社行き直通バスが出ているのを発見。飛び乗った。

 このバスは正解だった、と思う。普通のバスや電車で行けば、かなり待たないといけないうえ接続も悪そうだったのだが、このバスでは、ろくに予習もしてこなかった出雲大社や、日本地図の頭に入っていないわたしにとっては位置さえあやふやだった島根県について、運転手のおっちゃんが説明してくれたのだ。
 例えば、行く道の途中で松に囲われた住宅がたくさんあったのだが、それはこの辺りが川より低い土地なので、もともとは氾濫対策として植えられていたという。
 バスでは出雲大社の案内ビデオも流してくれた。史跡紹介ビデオとしての出来はいまひとつだったが、とにかく知識ゼロだったので本当に助かった。

出雲大社の大国主命と因幡の白ウサギ像 バスは30分ほどで出雲大社の裏側辺りに着いた。出雲大社は大国主命(オオクニヌシノミコト)を祀るところだ。古事記はきちんと読んだことがないのでうろ覚えだが、わたしは八百万の神々の中でも何となくこの神様が好きだ。因幡(いなば)の白ウサギの話とか、国を譲るところとか。ありがたいのだろうけれど過激なエピソードの多い内外の神様たちの中で、比較的穏やかな神様っぽい感じがしてほっとする。

 どういう理由かはよくわからないが、わたしは女性がひとりで神社仏閣に参拝してはいけないと教わって育った。しかしひとり旅の最初だし、この神様には挨拶していきたい。朝早い時間だったが、団体の観光客が三々五々やってくる。ここの作法は『二礼・四拍・二礼』と珍しい。もっとも、女性はかしわを打ってはいけないと言い聞かされて育ったので、手を合わせるだけにするつもりでいた。見知らぬ男の人のお客さんがガラガラパンパンかしわを打っているときにすばやく近寄ってささっと神様にご挨拶した。
出雲大社拝殿の注意書き  妙な注意書きの板に気を引かれつつ、社務所で家族へのお土産としてお守りを買った。巫女さんたちがフツーの女子高生っぽい口調で話していたのが印象的だった。

 おみくじをひいてみた。曰く、何をするのもオッケー、旅行は近場が吉とあった。国外よりは国内のほうが近いんだから、この旅も許されるというふうに解釈しておこう。 「何事も、自分の力できりひらくというのではなく、神意によってなされるのだということを意識するように。」といった意味の一文が書き添えられていたのが、妙に心を打った。無計画の出たとこまかせが神様公認になったということじゃないか。(違)

イルカ  さて、お守りを買うときに、カバンから「なんやねん」という声がした。実はこの旅には連れがいる。このイルカはニュージーランド留学中の人からもらった舶来の縁起物だが、いかんせん母国語がNZ英語のため円滑なコミュニケーションがはかれない。第二言語としてはただ一言、この「なんやねん」という関西弁のみを用いる。(くれた人が大阪人なので関西弁を発すると推測されるのだが、関東人のわたしがむやみにエセ関西弁を記述するわけにはいかないのだ)彼はこの唯一わたしに通じる言葉を、ニュアンスを変えて発することによって、喜怒哀楽を伝える術を心得た。けなげなイルカなのである。

 今回の「なんやねん」に耳を傾けてみると、どうやらイルカは何かを訴えているようだ。標準語で意訳するなら「ちょっと待ちなよ」という感じか。わたしは手にしたお守りを見た。「なんやねん!(それ、それ)」と彼は言った。わたし自身の分も買えというのか? 「なんやねん、なんやねん(その通り!)」幸運のイルカの言うことなので、わたしには高いお守りだったが、従うことにしてカバンに入れた。

 祈祷をしてもらっている人たちがいたのでその様子を見物してから、国宝建築の神様ハウスを遠巻きにぐるりと回って眺め、出雲大社を後にした。大きな荷物をコインロッカーに押し込み、小さいカバンを背負う。次はバスに乗って日御碕(ひのみさき)に行こう。

 「その前に昼食にしたらどうだ、三段割子そばがこの辺りの名物だぞ」
 背中から声がした。神様である。
 「なんやねん」
 イルカも神様の意見に賛意を示した。
 そういえば朝から何も食べていなかったことを思い出し、コインロッカー近くのソバ屋に入った。一枚ごとに自分で薬味を盛り、つゆを回しかけて食べる。

 少し元気になってバスに乗った。山路を延々とくねくね走って日御碕へ。以前『電車でGO』のバスバージョンみたいなゲームを兄がプレイして大苦戦していたのを思い出す。信号や対向車がほとんどないとはいえ、大きな車体で長時間細道急カーブの連続。本当に運転が難しそうだ。

 終点の日御碕バス停前には土産屋があり、そこでバスの切符も売っている。帰りのバスの切符を先に買うと、店のおばちゃんに笑顔で焼きイカを勧められた。
 「皆さん、海を見て歩きながら召し上がるんですよ〜」
 わたしはフレンドリーかつ押しの強い笑顔の売り込みに弱い。磯の香りを漂わせながら店を出たわたしへ、おばちゃんの声がさらに飛ぶ。
 「そこの神社にもお参りしていってくださいね、出雲大社の神様より先の神様だから」

 店のすぐ向かいにある重文の日御碕神社は改修工事中だった。作業中のおっちゃんたちが、汗をふきふきわたしを物珍しそうに眺める。
 「天照大神(アマテラスオオミカミ)と素戔嗚尊(スサノオノミコト)をお祀りする神社に、イカ焼き片手に行くとは……」
 背中の神様がぶつぶつ言っていた。何だかすごい神様たちの名前を聞いたような気が……まあ、イカ焼きは海を見ながら食べなければならないのだ、仕方あるまい。

経島 日御碕神社を出ると、海沿いの道へ出、歩いて灯台へと向かう。途中には人間立入り禁止のウミネコの島・経島(ふみしま)があった。
 灯台へはほぼ一本道なので迷う心配がないのは良かったのだが、それはまた逃げ場がないことをも意味する。……そう、この道には土産屋が立ち並んでいたのだ。暑いので店先に人のいるところがほとんどなかったのは幸いだった。が、ついに数軒目でおばあさんと目が合ってしまう。やめて、その素敵な笑顔をこちらに向けないで。
「暑いねえ。お客さん、冷たいものでも飲んで行かない?」
「そうですね、帰りにうかがいます〜」
「待ってるよ」
 逃げを試みたわたしに、退路を封じるおばあさんの一言。負けた。

日御碕灯台からみた日本海 灯台は風がものすごく強かった。わたしはそんなに華奢なほうではないのだが、それでも冗談抜きで風に飛ばされそうな勢いだった。
 それにしても、数年ぶりに拝んだ日本海である。わたしは海や港、船が好きなのだが、ここのところは浜松町近くの竹芝桟橋の公園でぼーっと汚い東京湾を眺めるか、横浜を歩くのがせいぜいだった。旅に出たという実感がわいてきた。

 長時間強風にあおられるのは、意外と体力を消耗することらしい。灯台を下りると、思い出したようにどっと疲れた。ヘロヘロと来た道を戻り、途中おばあさんの店でお茶を買ってから、バスで再び出雲大社前へ。バスの車内で地元の小学生が『世界にひとつだけの花』の替え歌を歌っていたのだが、サビの「♪世界にひとつだけの♪」の部分を「♪世界にひとつだけのハゲ♪」と替えるだけのために、その前の部分を真面目に延々と歌っていたのがエライと思った。

 出雲大社前で荷物を取り出し、宿のある松江に電車で向かおうと歩いていたところ、フレンドリーなタクシーの運転手に呼び止められた。だ、だからそのいいヒトっぽさ全開な笑顔はやめて。わたしはキャッチセールスにも弱い。新宿の東口付近に立っている、見るからにアヤシイにいちゃんたちなら無視できるのだが、こういう人のよさそうなおっちゃんだと、かわいそうで断れないのだ。結局大枚はたいてティファニー美術館へ行くことに。

 心の中で自分の弱さを責めることしきりなわたしだったが、このおっちゃん、実は何やらすごい人だった。オリジナルの島根県案内を手書きで作り乗客に配布していたのだ。それがとりあげられた新聞記事まである。しかもこのおっちゃんは全国各地に幅広い人脈をもつ人だった。わたしが数日後天橋立に行くと聞くや、数十年来昵懇にしているおばさんがいるから、うまいものを安く食べさせてもらえるよう電話しておいてやるとか言って。このときは半信半疑に聞いていたのだが、数日後にその威力を思い知ることになる。

ティファニー美術館の庭園 そんなこんなでティファニー庭園美術館に着いた。工芸品の展示のほかに、イングリッシュ・ガーデンというのだろうか? 大規模な整備された庭園があり、確かに素晴らしかった。時間にゆとりがあればもっとゆっくり鑑賞したかったのだが。

ティファニー庭園美術館駅名表示板 日本一長い駅名であるというルイス・C・ティファニー庭園美術館駅から一駅の松江しんじ湖温泉駅へ向かい、30分ほど電車を待って乗る。次に来ることがあったら、松江市はバスを駆使したほうが絶対効率が良い。ネットで路線図・時刻表などを落として携帯するのが良いだろう。(現地でも手に入るが、複雑なので予習したほうが良い)

 ともあれ駅に着き、歩いて予約していたビジネスホテルへ。タクシーの運ちゃんが、県立美術館が宍道(しんじ)湖に沈む夕陽の見物スポットなので(開館時間は日没までなのだ!)行くべしと勧めてくれていたが、東京で観たことのあるルオーだったし、さすがに疲れきっており行けなかった。

 ビジネスホテルといっても、場所柄ちゃんと温泉が付いていて、しかも夕食と朝食あり。手頃な値段でリゾート気分(?)満喫である。しかもあまり期待していなかった夕食が思いのほかゴージャスだった。さすが神様と幸運のイルカ同伴の旅、幸先が良い。出張中っぽいサラリーマンのおじさん達に囲まれて、華はないがシアワセな食卓だった。

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